神々と共同体の行方
本日はご来場いただきまして、誠にありがとうございます。
演劇集団 砂地では、古典戯曲を中心に作品を発表し続けている。シラーから始まり、シェイクスピア、J・フォードのようなエリザベス朝の戯曲から、イプセン、ストリンドベリといったいわゆる近代劇、鶴屋南北や黙阿弥のような歌舞伎の戯作を取り上げた上演もあった。割とそのまま上演することもあれば、モチーフとして扱い、ほとんど新作として翻案したこともあった。今回はギリシャ悲劇である。
しかも、五本の独立した作品を、無理やりに一本の作品として上演しようという試みだ。
ギリシャ悲劇や、それを支えたギリシャの市民社会の子細をかたる資格は私にはないが、ここではギリシャ悲劇が内包する‘神々’についての雑感を記してみたいと思う。
西洋の戯曲を日本で現代の俳優と立ち上げていこうとする時、‘神’の存在はいつも大きな問題となる。多くの場合、我々は身体性、あるいは生活様式の中に‘神’を持たない。いったいどのように捉えれば、戯曲の中に内在する‘神’を具体的に男らえる事が出来るか、試行錯誤を繰り返してきた。
今回は、ギリシャ神話の‘神々’が、戯曲の中で重要な要素を担ってくる。しかし、実は、一神教の‘神’よりも、ギリシャ悲劇の‘神々’の方が、我々には捉えやすいのではないかと思っている。
多くの一神教では、「次の生」や「終幕のあとの平穏」の為に様々な教えや戒律があるように見受けられる。(もちろんそうでないものもある)。教え、許し、そして導く神、そうした‘神’と違い、ギリシャ神話の‘神々’は「運命を操る見えない手」という性質が強いように思う。そして、ギリシャ神話の神々は、怒り、喜び、妬み、そして恋をする。非常に人間臭く、様々なエピソードが残されている。何より、注目したいのが、神々が「沢山」いる事だ。
あくまで、私の憶測にすぎないのだが、この「沢山いる事」と、たくさんの神々の「さまざまな事情」が「複雑」に絡み合っている事が、実は大きな意味があるのではないかと思っている。
ある観方からすれば、人々が生の理不尽や、不条理を納得するために発明したものを‘神のような存在’ととらえるならば、ギリシャ神話の‘神々’は「複雑な事情」で結果人間たちを振り回している。そこで市民は、ラグビーのスクラムに投げ込まれた、ラグビーボールのようなものである。
しかし考えようによっては、誰か一人の存在の事情によって振り回されるよりも、不条理、理不尽にも納得できるのではないだろうか?
このシーズン、猛威を振るったインフルエンザで、稽古が中止になるにしても、誰か一人が感染したのと、10人が感染したのでは、事情に対する印象が異なるのではないだろうか?
我々は、日常から逸した出来事(殺人から、自然災害から、タレントの不倫まで)に対して、原因やそこに内在する事情を読み取ろうとする、それは再発に対する対策の為であると同時に、そこに起こるメカニズムを納得し、安心するためだろう。原因が複雑に絡み合っていればいるほど、その説得力は増す。
世界はどんどんと、複雑に複雑になっていく。しかしだれもその複雑さを説明できない。そして誰もがその複雑さに影響をうけている。その複雑さこそが、「運命を操る見えない手」としての神々なのではないかと私はおもう。そして、その複雑さの寓意として、ギリシャ神話の神々の複雑さがあるのではないだろうか?
厳密にギリシャ神話ないしギリシャ悲劇成立当時の市民社会について語る資格もわたしにはないが、少なくとも現代においてそうした見立てをすることは可能なのではないかと考えている。
そして実は、そうした人生の不条理を納得し、ときに諦めを誘発させる、‘神々’の存在は、その実、共同体を安定させるための装置であるようにも思われる。
この共同体という発想が曲者で、やはり稽古場で、特に若い俳優と作業するときには、大きな障害となる。
小さなコミニティーの中で人間関係を維持するためのコミニュケーションの手管には共感、理解が早いが、それが我々を取り巻く大きなもの、例えば国家、言語圏、あるいは宗教対立に内在する問題、そういった大きなコミニティ―の話になると、途端に想像力の翼を失ってしまう。それは、近代化が生んだ現象の一つだろう。
そんな今日において、複雑に絡み合った「運命を操る見えざる手」が我々の頭上にもあるとするならば。我々にとっての‘神々’はいったい何になるのだろうか?
余談だが、こういう時に、理解・共感を受けやすいのは、複雑さと無縁のシンプルに解りやすく、感情に訴えるような主張をもった者だろう。
最後に今回の上演台本を作るにあたって参考にさせていただいたのは
「アウリスのイピゲネイア」エウリピデス 呉茂一訳(ちくま文庫)
「アガメムノン」アイスキュロス 呉茂一訳(ちくま文庫)東大ギリシャ悲劇研究会訳 久保正彰訳(岩波文庫)中村善也訳(世界文学全集)
「エレクトラ」ソフォクレス、松平千秋訳(世界文学全集)エウリピデス、田中未知太郎訳 アイスキュロス(供養する女たち)呉茂一訳(ちくま文庫版)
「タウリケのイピゲネイア」エウリピデス 久保田忠利訳(岩波文庫)呉茂一訳(ちくま文庫)
「慈しみの女神たち」アイスキュロス 呉茂一(ちくま文庫)
何度も何度も読み返し、この訳者の方々の偉業がなければ、この物語を知る事もなかったのかと思うと、本当に感謝と敬意の念しか浮かびません。この場をかりて厚く御礼申し上げます。
また、同時に、ギリシャ神話、ギリシャ悲劇を題材とした後発作品にも触発された事を追記しておきます。
5本を一本につなげるために、原作にない設定、構造を追加したこともお断りしておこうと思います。
演劇集団 砂地 2017年2月公演
『アトレウス』
原作:エウリピデス/アイスキュロス/ソフォクレス
『アウリスのイピゲネイア』『アガメムノン』『エレクトラ』『供養する女たち』
『タウリケのイピゲネイア』『慈しみの女神たち』より
◆公演期間
2017年2月9日(木)~13日(月)
◆会場
吉祥寺シアター
◆公演スケジュール
2017年2月
9日(木) 19:00
10日(金) 19:00
11日(土) 14:00/19:00
12日(日) 14:00/19:00
13日(月) 14:00
◆出演
田中壮太郎
高川裕也
大沼百合子
本多新也(演劇集団 円)
藤波瞬平
永宝千晶(文学座)
岩野未知
小山あずさ
間瀬英正
天乃舞衣子
小林春世(演劇集団キャラメルボックス)
吉田久美(演劇集団 円/On7)
如月萌(【ハッカ】)
工藤さや(カムヰヤッセン)
宍泥美
石山知佳
◆スタッフ
構成・台本・演出:船岩祐太
美術:土岐研一
照明:和田東史子
音響:杉山碧(La Sens)
衣裳:正金彩(青年団)
舞台監督:白石英輔(クロスオーバー)
演出助手:山下由(Pityman)
美術助手:小野まりの
演出部:菅井新菜
制作:河本三咲
フライヤーフォトグラフ:瑛大
宣伝デザイン:佐藤瑞季
主催・企画・製作:演劇集団 砂地
提携:公益財団法人武蔵野文化事業団
助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
【協力】is/マグネタイズ/ J.CLIP/ハツビロコウ/円企画/文学座/ハツビロコウ/演劇企画集団THE・ガジラ/融合事務所/自転車キンクリーツカンパニー/アウルム/演劇集団キャラメルボックス/ネヴァーランド・アーツ/On7/【ハッカ】/カムヰヤッセン/クロスオーバー/松本デザイン室/
La Sens/青年団/THEATER Pityman/コンドウダイスケ/小池陽子